死ぬとき死ねばいい

音楽レビュー

元々カンザキイオリさんといえば『命に嫌われている。』を知っている程度でした。そんな私がどっぷりハマるきっかけになったのが、2年前のことです。大好きだった妹を突然失い、仕事もできず引きこもっていたあの頃、亡くなった妹が好きだったカンザキイオリさんの小説『あの夏が飽和する。』を手に取りました。読み終えた余韻のまま楽曲を聴いてみたところ、気づけばすっかり惹き込まれていました。

その中でも特に心を掴まれたのが「死ぬとき死ねばいい」です。

この曲は、苦しいときに無理に前向きになれとは言いません。ただ「死ぬとき死ねばいい、だが今は生きたい」という言葉が、しんどい日々の中でふと背中を押してくれることがあります。大切な人を失った方、毎日をなんとなくやり過ごしている方、ぜひ一度聴いてみてください。

そして、僕自身未だに罪悪感や「自分が幸せでいいのか」「恨まれていないか」と考えてしまうことがある。あの頃の記憶に今も囚われている感覚が、正直あります

それでも、もういないのは事実で、生きるしかないこともわかっている。頭ではわかっていても、感情がついてこない、と言うこともある。けど、そのもどかしさをこの曲はそのまま歌っていてくれているようで、この曲が深く胸に刺さります。

自分は、妹を失ってからは、良くなっては、思い出しては、辛く、悲しくなるを繰り返しています。それでも今は、前を向いて生きています。

ですが、妹を忘れたわけではないし、けど思い出して辛くなる時もある。生きていることが楽しいだけじゃないのも正直なところです。それでも、全部踏まえた上で、生き方、感情面でも大きく変わりましたが 今頑張って前を向いて生きています。

それはこの楽曲を含めカンザキイオリさんのおかげでもあるし、自分は音楽を聴くのが好きなので他のアーティストの方々や、友人、職場やその他、色んな出会いで会える素晴らしい人達のおかげでもある。

それは、生きているからこそ、起きている出来事ですしね

曲の基本情報

曲名死ぬとき死ねばいい
アーティストカンザキイオリ
作詞・作曲・編曲カンザキイオリ
収録作品①人生はコメディ(配信限定EP・2021年8月11日)
収録作品②あの夏が飽和する(配信限定EP・2025年8月12日)

この曲は小説『あの夏が飽和する。』の主人公・千尋が大人になった後の物語を描いており、楽曲『あの夏が飽和する。』の後日譚にあたります。

そのため、「あの夏が飽和する。」を聴いいただいてからこちらの曲を聴くことを推奨いたします。

では、ここからは実際に聴いて感じたことを、1番・2番・ラストパートに分けて書いていきます。歌詞の解釈はあくまで私個人の感想です。上記にもある出来事から来る自分語りが含まれております。

また、同じ曲でも人によって受け取り方は違うと思うので、ぜひ聴きながら読んでみてください。

① 一番の感想

1番の歌詞では主人公(千尋)は、「いつか人は死ぬ」という避けられない現実を抱えながら、それでも人は日々を惰性のように生きてしまうものだ、という感覚が描かれているように感じます。さまざまな出来事や感情を抱えたまま過ごしているうちに、気がつけば大人になっていた――実感のないまま淡々と時間だけが流れていく空気が、序盤の曲全体に漂っています。 

いつか 人は死ぬ
それだけが 僕の脳髄に蔓延って
カビに なっていますが

「僕の脳髄に蔓延って」「カビ」という組み合わせも印象的です。個人的に序盤から喰らいました。単に「考えすぎる」ではなく、精神が侵食されていくような、病んでいく感覚まで表現されているように感じます。そしてその直後に「この度 特効薬が選ばれました」と続くのが絶妙で、「カビ」という物理的な不快感とその後の歌詞「特効薬」という、どこかユーモラスなのに胸に刺さるような切なさが伝わります。

憎しみとか 全部忘れました
悲しみとか 全部捨てました

と言いながら、

思い出すことは 微かにありますが
僕は もう大人になりました

と続く。全部捨てたと言いながら、微かにある。その人間らしさが正直で、強がりながらもどこか抜けきれていない感じが伝わってきます。そんな状態のまま「僕は もう大人になりました」と、なんとなく大人になってしまった感覚。

「生きる意味は それなりにあるし」というどこか投げやりな言い方も好きです。大げさに肯定するわけでもなく、それなりに、という雑さが妙にリアルで。そして

死んでしまうときに 死ねばいい話だろ

「死を前提にした生きる肯定」です。どうせ死ぬんだから、そのとき死ねばいい。投げやりに見えて、その言葉の裏に「だから今は生きる」という意志がある。この曲のタイトルの意味が、ここで一気に回収される感じがします。

そしてこの流れからサビへの入りが本当にやばいんです。

必死に働いて 金を稼いで
過去は 許されたのに

「憎しみも悲しみも捨てた、それなりに生きている」という地点から、「必死に働いて 金を稼いで 過去は 許されたのに」と続く。大人になった、必死に生きて、働いて、それで過去の出来事への許しを求めているのに、

人生 発展途上の 僕らは
常識の芽生えに 戸惑ってばかり

とまだ未完成のまま。

許されたいと思いながら、まだ迷って、揺れて、それでも生きている。未熟さも、迷いも、成長の痛みも、たった数行で全部言い当てている。成長するほどに”当たり前”や”正しさ”にぶつかり、そのたびに揺れてしまう人間らしさが鮮やかに描かれています。本当にすごい。

そして、「人生 発展途上の 僕らは」という一行だけで、未完成な途中の存在として捉えているのが伝わってきて圧倒されます。さらに「常識の芽生えに 戸惑ってばかり」という言葉選びが本当にすごくて、未熟さも、迷いも、成長の痛みも、たった数行で全部言い当てている感じがします。成長するほどに”当たり前”や”正しさ”にぶつかり、そのたびに揺れてしまう人間らしさが、鮮やかに描かれています。

梅雨は明けて 日々は乾き
その全てに 君がいる
鬼灯は爆ぜて 獣たちは旅をする

1番の中でも特に個人的に印象的かつ好きなのが1番サビ最後のフレーズ「梅雨は明けて 日々は乾き その全てに 君がいる」という一節です。季節が変わり感情も少しずつ整理されていくはずなのに、目に入るものすべてに君の存在が重なって見える。喪失してもなお消えない記憶の強さが、この一行に凝縮されているように感じます。

さらに「鬼灯は爆ぜて 獣たちは旅をする」鬼灯がはじける姿と、獣たちが旅をする姿が重ねられることで、曲の中に終わりと始まり、消滅と生が同時に感じられます。そして、儚さと生命力がぶつかり合い、この歌は静かなのにどこか荒々しく、確かに生きている感覚に包まれている…

そして僕自身、この曲の「君」に対して、2年前に亡くなった大切な妹を重ねてしまいます。2年近い月日が経った今でも、何かを見るたびにふと思い出して、「生きていたらどうしているだろう」と考えてしまうことがある。そんな自分にとって、この一節はただの歌詞ではなく、鬱病から立ち直ったものの今なお続いている感情そのものです。

② 二番の感想

初夏 未完の蜘蛛の囲が絡まる

1番同様未完成な状態がそのまま言葉に表れているが表現も違い だけでなく、「絡まる」という動きによって、過去の記憶や感情がほどけないまま絡みついてくる感覚が見事に描かれています。この表現も大好きです。

手で撫でた 草の匂いを思い出す 晩夏 
散り際思い出す 君の肌に くしゃみをした

「手で撫でた 草の匂いを思い出す」という歌詞からは、ふとした瞬間に五感の記憶が過去を呼び戻す感覚が感じられます。些細な出来事 においや触覚といった身体的な記憶から、言葉よりも先に感情を引き戻してくる。自分自身もよくあることだからこそ、この一行がリアルに胸に刺さります。

そして「晩夏 散り際に思い出す 君の肌に くしゃみをした」という流れも好きな部分です。夏が終わりに向かう気配の中で、君との時間も静かに終わりへ近づいていたような切なさがある。それなのに「くしゃみをした」というどこかユーモラスな一言が差し込まれることで、ギャップがある感じ 重くなりすぎず、でも確かに愛おしい記憶として残っている感じが伝わってきます。

干からびる日々の裏で 鳴り響く
なあ どうか 恨まないでくれ
あの匂いが いつまでも鼻をくすぐる

「仕事終わりはビールを飲んで 大団円の映画で夜に染まる 友達と そこそこ仲良くやれてる」という歌詞から普通の人が手にする幸せが確かに自分にもある、という感覚が描かれ…しかしその直後の歌詞、普通に生きている自分への罪悪感、そしてもういない君への申し訳なさが滲み出ています。恨まないでくれという言葉は、ここにいない君への切実な願いであり、あの匂いがまだ消えないという表現には、記憶に今も引きずられている感覚がそのまま表れています。

そして、この部分は僕自身のことと重なります。未だに罪悪感や「自分が幸せでいいのか」「恨まれていないか」と考えてしまうことがある。あの頃の記憶に今も囚われている感覚が、正直あります。

僕は 今を生きるんだ
君はもう 死んでいるんだ

それでも、もういないのは事実で、生きるしかないこともわかっている。頭ではわかっていても、感情がついてこない。そのもどかしさをこの曲はそのまま歌っていて、だからこそ「なあ どうか 恨まないでくれ」とこの「僕は 今を生きるんだ 君はもう 死んでいるんだ」という言葉が、この曲の中で一番深く胸に刺さります。

生きた証が 蜃気楼に踊って
意味が過ぎ去る 日々が

生きる意味、生きてきた証明も、つかもうとするほどにすり抜けていく感覚、「日々が」と続くことで、それが一瞬ではなくずっと続く状態、人生そのものとして描かれているように感じます。

人生満了未遂の 僕らには
到底 生き地獄にしか思えない

というこの表現は本当にぶっ飛んでいて、でも核心をついてきます。死にたいと思っても死ねない、生きている意味も感じられない。そんな状態を「人生満了未遂」という言葉で表し、「僕ら」とすることで自分だけでなく同じように苦しむ人、僕含め全体へと広がっています。

正義ってなんだ? 道徳ってなんだ?

生き地獄の中にいる自分がなぜ社会の正しさ、常識に従わなければならないのか、という根本的な疑問。

日々が流れ 今では
導く側だと 獣たちは気づかない

それでも世の中は何も気づかない、何事もなかったまま進んでいく。その孤独感と不満が、静かに、でも確かに力強く滲み出ていると思います。
そして、ここのサビ終わりからの間奏好きすぎますね…

③ラストスパート

さぁ、ラストスパートCメロに入ります。全体的に力強く表現されていて、カンザキイオリさんの歌い方とても大好きです。

さよなら 今は憧れがある
人間らしさが 体中に染み付いた

この曲で初めて「さよなら」という言葉が出てきます。2番で描かれていたように、主人公(千尋)は、仕事終わりにビールを飲んで、友達とそこそこ仲良くやれて、普通の人間らしい日々を重ねてきた。気づけばすっかり人間らしさが体に染み付いてしまっている現状だが、

しかし 君の言葉は忘れない
「シアワセの 4文字なんてなかった 今となっちゃ どうでもいいさ」

「しかし」と続く。過去に別れを告げながらも、君の言葉は忘れるわけじゃない。忘れられるわけがない。さよならと言いながらも、忘れないという矛盾をそのまま抱えている。その正直さがこの曲の強さ、魅力的なんだと思います。

そして、君(流花)の言葉の引用が刺さります。幸せを知らないまま逝ってしまった君の言葉を、今も抱えている。さよならと言いながら、この言葉だけは忘れられない。忘れると言いながら忘れられないから、「しかし 君の言葉は忘れない」と歌うしかない。この君(流花)の言葉を、主人公(千尋)はこれからもずっと抱えて生きていくんだと思います。

決して、ただ「忘れない」というのはネガティブな意味だけではないと思います。忘れられないのは、それだけ大切だったから。君の言葉を抱えて生きていくことは、ある意味で君と一緒に生きていくことでもある。悲しみの中にも、きっと愛がある。

愛がなんだ 夢がなんだ
それが 金になるのか?

この問いは2番の「正義ってなんだ? 道徳ってなんだ?」と表現は違いますが、通じていると思います。社会のきれいごとや正しさへの疑問が、曲の中で繰り返し出てくる。それだけ主人公がずっとその問いを抱えたまま生きてきたということ。答えは出ないまま、

人生 発展途上の 僕らは
正しさと成長を 天秤にかける

2番でから問い続けてきた主人公が、ここで答えを出したんだと、思います。正しさと成長、どちらが大事かなんてわからない。

1番・2番でずっと繰り返してきた「未完成な自分」が、ここで「正しさと成長を天秤にかける」という形で着地する。だからこそ沁みるんですよね。

でもその天秤にかけながら、それでも生きていく。問い続けることが、生きることそのものなのかもしれない。この流れで来るから、この一行が深く沁みるんだと思います。

何度忘れて 何度嘆けど
過去は 輪廻するから

忘れようとしても、嘆こうとも、繰り返し戻ってくる。君のこと、過去のこと、消えないまま何度でも戻ってくる。それでも、だからこそ、

死ぬとき 死ねばいい
だが しかし 今は生きたい

この曲のすべてがここ(後述する歌詞含め)に本質があり、集約されていると思います。いろんな出来事、過去、正しさへの問い、嘆き、罪悪感、全部抱えたまま、それでも今は生きたいと言い切る。投げやりじゃない、逃げでもない。全部受け止めた上での「今は生きたい」だから、この力強い言葉が深く刺さります。

人間らしく 人間らしく
そう思わないと 前に進めない

というこの締めくくりが本当に良いんです。

完璧じゃなくていい、矛盾を抱えたままでいい、それでも人間らしく前に進む。、罪悪感があっても、正しさがわからなくても。それでも「人間らしく」あろうとすること、そう思わないと前に進めないと言えること。それがこの曲の答えなんだと思います。

1番・2番でずっと繰り返してきた未完成な自分が、最後にここへたどり着く。だからこそ、この一行が深く響きます。

まとめ

また少し自分自身のことを書かせてください。

妹を失ってから、自分もずっと過去を思い出しては、また消えるを繰り返しています。それでも今は、前を向いて生きています。やりたいこと、好きなことも、生き甲斐とまでは言えないけれど、それなりにある。

妹を忘れたわけではないし、思い出して辛くなる時もある。生きていることが楽しいだけじゃないのも正直なところです。それでも、全部踏まえた上で、今頑張って前を向いて生きています。

それはこの楽曲を含めカンザキイオリさんのおかげでもあるし、自分は音楽を聴くのが好きなので他のアーティストの方々や、友人、職場やその他、色んな出会いで会える素晴らしい人達のおかげでもある。

  • 同じように大切な方を失った人へ
  • 毎日をなんとなく生きている人へ
  • カンザキイオリさんをまだ知らない人へ

この曲は、苦しいときに無理に前向きになれとは言いません。ただ「死ぬとき死ねばいい、だが今は生きたい」という言葉が、しんどい日々の中でふと背中を押してくれることがあります。大切な人を失った方、毎日をなんとなくやり過ごしている方、ぜひ一度聴いてみてください。

僕は救われました。 あなたにも、この曲が届きますように

コメント

タイトルとURLをコピーしました